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果たせなかった思い ~一本のたすきにかけた三年間~ [駅伝&部活]

現任校に赴任してから、自分が指導に力を入れてきたもののひとつに駅伝があります。この駅伝に関しての思いは今までに何度もブログの中で書いてきました(記事検索すればうじゃっと出ると思います・笑)。今年の駅伝はタイトルの通り、結果からすれば念願の県大会出場を果たすことはできませんでした。レース後は放心するほどショックでしたが、最後はやはり生徒に救われました。

現在勤務している地区は県内でも指折りの駅伝の強豪地区で、毎年県大会に出場する顔ぶれはほぼ一緒です。どれも伝統校なので年間を通した練習計画があり、経験もシステムもあります。対してうちの学校は地区でも大きいほうの学校なのに、駅伝の県内の名だたる大会には参加せず、練習計画もありません(経験やシステムはもちろん)。最初の頃は失望も大きかったですが、だからこそ県大会出場は生徒と共に自分たちの念願となっていました。

転機が訪れたのは今から3年前…一人の生徒が入学してきたことです。長距離に関して素晴らしい力をもっていたのは言うまでもなく、初めてその生徒の走りを見たときは体が震えたのを今でも覚えています。その生徒を中心に三年後には必ず県大会にというのは自分の長期スパンの指導目標でした。

しかし、どんなに頑張っても学校の駅伝に対する体制は依然変わらず、求められるのは周囲を納得させられる結果。この矛盾は最後まで打破することができませんでした。それでも、

   一年目の挑戦は地区10位
 
   二年目の挑戦は地区4位

と確実に手応えを感じていたのも事実です。そして迎えた今年の地区駅伝…もう迷いは自分にも生徒にもありませんでした。あったのは県大会に出場したいというただひとつの思い。夏休み前から生徒が個人練習を始め、夏休みは地震などの影響もありましたが、それでも時間を見つけてとにかく走りこみました。初の県大会へ向けて試走も二度行い、さらにはオーダーも何通りも考え、心身共にこの三年間でベストの状態で大会の日を迎えました。

レースは予想通りに最終区まで展開しました。一区では他校のエースを押さえ全体2位でスタートし、二区、三区、四区と順位はひとつ落としたものの県大会参加圏内の3位でたすきがアンカーに渡りました。アンカーはもちろん三年前に出会ったその生徒。後ろから追走してくるチームは県内での屈指の駅伝の強豪校で、タイム差を考えると県大会は正直微妙なラインだとこの時点で感じましたが、自分にできることはこの三年間とその生徒を信じることのみ…コースの途中まで走っていてその生徒の顔が見えてくるのを待っていました。ところが、待っていたのはあまりにも残酷な現実でした。

前日の駅伝の監督会議で「走者はセンターラインよりも左側を走ること」というのが確認されていたのですが、相手校がそのルールを無視し、カーブで最短距離の直線を走っていたのです(タイムも距離もその分縮みます。その時点で自分の学校は逆転されていましたが…)。正直、目を疑いました。え?え?え?と自分の気持ちの中で疑問が湧きましたが、何事もないように自分たちの目の前でレースが進んでいきました。結果だけ言うと、最終的にはそのままゴールしたため、念願の県大会はなりませんでした(二年連続の4位 タイムは昨年を2分以上縮める過去最高タイムだったが…)。放心するほど泣いていた生徒を見ながら、自分もしばらく立ち尽くしていました。

でも、どうしてもレースに関しての違和感がぬぐえず、レース後に本部へ抗議をしました。それは、

「監督会議で確認された事項が守られず、レースが続けられていたが、あれは偶然だったのか。故意だったのか。もし後者であった場合、これはとんでもないルール違反ではないのか」

ということです。自分の他にその現場を見た先生達が何人もいて、同じように自分の意見に賛同してくれ、そこから関係者での会議が始まりました。

     「順位がひっくり返るくらいタイムが変わるだろうか」
     「こんなことを指摘されたの初めてだ」

否定的な意見もたくさんありました。堂々巡りの話し合いは長く続きましたが、興奮していた自分はついに全体の場で発言してしまいました。

「もし自分の学校が同じ立場だったら同じように抗議をしないでしょうか。タイムや順位ではなくて、ルールの中で勝負するのがスポーツで、それを教えるのが我々指導者の役目ではないでしょうか。そもそも監督会議で監督したことが守られないのはおかしいのではないか…」

自分でも驚くくらい言葉が自分の口から発せられました。しかし、その後ありえない言い訳が並べられ、最後はあきらかに偏った意見が支持され、結果は覆りませんでした。何も出来なった無力感と緊張がとけた脱力感。むなしい気持ちだけが自分の中には残りました。最後は生徒に

     「夢を叶えられなくてごめん」

と謝りました。その後のことはよく覚えていません。ショックで学校に戻ってきたのは覚えているのですが…。最高のチームを県大会へ導けなかった自分の指導力不足、彼らの思いをつぶした責任…その日は眠ることができませんでした。

それでもやっぱりこんな自分を救ったのは生徒でした。憔悴しきった状態で出勤した次の日、いつものようにノートを点検していると、アンカーだった生徒のノートに、

「県大会行けなくてすいませんでした。でも、駅伝をやって本当によかったです。ありがとうございました」

その生徒の方がつらいはずなのに…本当にごめん。。。本当にごめん。。もっとできたことがあったはずなのに…。お礼を言いたいのはこっちなのに…俺も駅伝をみんなとできてよかった。そのことを昨日言えなかった自分。。三年間の思いをそのノートに書きました。

念願の県大会は果たせませんでしたが二年連続4位と過去最高タイムは記録としては大きな勲章。そして、彼らとすごした3年間は一生忘れることのできない瞬間です。本当にありがとう。

※文章がまとまってないですね~~~~。すいませんorz
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